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    住宅ローン・マイカーローンは銀行の問題商品?

    銀行にしてみればこのホワイト情報がほしくてたまらなかった。その宿題は、今般の改正貸金業法によってついに課されたのだが、その日を待ちきれず、禁じ手を用いた銀行(旧富士銀行=現みずほ銀行)があった。

    富士銀の歴史を振り返る時、富士・住友(FS)戦争への言及を避けることはできない。FS戦争の発端は、86年10月の住友銀行による平和相互銀行吸収合併にあった。首都圏に100ヶ店を越える拠点を手に入れた住友が東京に乗り込み、発祥の地・大阪流のやり方で取引先を開拓するが、そこで関東勢の雄を辞任していた富士とぶつかり、前面戦争状態に発展したのが、ちょうど80年代バブルと重なった。

    このFS戦争の中で、富士銀行が活用したのが悪名高い「住活ローン」であり、地価急上昇に目をつけ、住宅ローンの担保余力分を財テク資金として貸し出すというもので、まさにバブルの権化のような商品であった。

    伝統的な融資業務しかしたことがなかった行員はなかなか馴染めなかったが、本部は、定型商品としてこれを作り出し、何が何でも売れと大号令をかけ、それを受けて行員たちは、住活ローンの商品性(顧客が財テクに失敗し、不動産価格が暴落した場合にどういう問題を引き起こすかというリスク)をまるで考えもせず、販売マシーンと化した。

    そして心配されていたとおり、すぐに深刻なトラブルが続き、相当額の不良債権が発生したもので、原因はやはり、リスク感覚の鈍さと与信情報不足だった。

    富士は同じ時期、やはり住友追撃の目玉として無担保ローンの「マイカープラン」販売にも力を入れていたが、これは住活ローンをも上回る問題商品でもあった。信販会社の自動車購入ローンであらば、完済まで所有権保留をかけるのが当時から当たり前だったが、富士はそれをしていないし、それどころか、ろくに本人の信用調査もしないまま、ディーラーの見積りさえあれば150万円まで一発融資という信じがたい商品だった。

    これに狙いをつけたのが、海船山千の街金であり、多重債務に顧客を「富士に行ったらすぐに借りられるぞ」とそそのかし、マイカープランとして受けた融資を自社に対する債務の返済に充てさせたのです。

    そんなところに消えたものが、富士に返済されるはずがないし、大量の焦げ付きに危機感を抱いた富士は、個人ローン販売のための与信体制を構築すべく、総務部を密かに動かし、裏ルートで全情連情報へのアクセスを図ったのでした。
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